2001年 FIREFOX 2001

本格的なチーム活動

2001年のZOTTのチーム写真

松田啓佑、神戸佑介、藤波佑太、トレーナーとして薄井葉子が加わり本格的に活動を開始する。当時は都内でもフットサルをする環境はあまり整っておらず練習場所の確保に苦心。さらに全員学生でお金もないので料金が安い夜中の久米川のコートで練習したり床でボールを蹴る機会が欲しいということで西東京のゴールの無い体育館で練習したりしていた。

そうこうするうちに1DAY大会で行ったFUNフットサルクラブで鵜飼孝さんに出会い、お前ら強いなってことで目に止めてくれて、当時日本一であったFIREFOXと2度練習試合をさせてもらう機会を頂けることになる。

日本一のチームとの出会い

当時のFIREFOXのメンバーは難波田治さん、木暮賢一郎さん、小宮山友祐さん、定永久男さん、原田健司さんと言ったフットサル界のレジェンドばかり。結果はどちらも今まで感じたことのないくらいボコボコにやられ、フットサルに目覚めるキッカケとなる。

この試合の映像はメンバー全員、テープが擦り切れるほど見た。(当時はDVDはなくVHSのビデオテープだった)FIREFOXの選手の動きをマネして練習、また映像見てマネして練習の繰り返しだった。因みにこの時のFIREFOX監督で練習試合後に感想を聞きに行った僕たちに対して『まだサッカーだね』とアッサリ言った眞境名オスカーは後に当クラブのジュニア部門INFANTILの総監督を務める(2012-2017)ことになる。

学生NO.1チーム

2001年のZOTTのチーム写真

こうして本格的に活動を始めてすぐにFIREFOXによってどん底まで落とされたが、この年の夏にチームの名前をフットサル界に知らしめる結果を残す。 前述の通り時代の最先端を突っ走っていた(合コンなど)小林等が当時は珍しいチームHPを作製し、そこに『目指すは学生NO.1』と根拠のない目標を掲げていた。

多分誰もが何を勝手に言ってるのかなと思っていたが、当時有名であった学生チームが全て参加していたF-NET主催の第5回カレッジフェスタ(八幡山の人工芝コートで開催)に出場すると、並み居る強豪を押しのけてまさか優勝。これが想像以上に巷で騒がれ、これを機に以後3年間ZOTTの前に学生NO.1チームという肩書がついてまわることになる。

東京2部昇格

波崎で行われた賞金50万円のフットサル大会

その後、また鵜飼孝さんの勧めで真冬の人工芝コートで行われた公式リーグの東京都オープンリーグに参戦しストレートで東京2部昇格、波崎で行われた賞金50万円の大会で優勝し学生チームには嬉しい軍資金GET等々、成果を残せるチームに成長していくが、初めて出場した全日本選手権の東京都予選ではやはりFIREFOXに0-4で完敗し、また現実を突きつけられ、より一層の練習に励んでいくことになる。

初めて出場した全日本選手権の東京都予選ではやはりFIREFOXに0-4で完敗