フットサルナビ2005年4月号 転落guide/history2004n

以下、フットサルナビの取材内容

フットサルナビに掲載された内容

「転落」

ZOTTの苦悩と瞑想の3か月

失ったものは大きかった。それでもフットサルが好きで好きでたまらない彼らは戦いを続けた。愛する者への約束、退職まで思い立った者、離れ離れになる仲間を結びつけたボール、そして降格。移籍か、残留か、苦悩し続ける男……そんな彼らを追い続けた。

もし時間を巻き戻れるのだったら、あのフリーキックからやり直したかったに違いない。本心では、彼らはまだ、思っているはずだ。

1月13日、新年会での独白

話は1月中旬に行われた、某フットサル関係者での新年会に遡る。僕は中座し、居酒屋の通路で「レーザービーム」渡辺博之と居合わせると、やはりその話になった。「渡辺君、大変だね。」「いや、マジで参入戦(行き)ヤバイですよ。もしホントに降格なんてなったら、もう解散かもしれないですからね」。選手の過半数が社会人となり、練習時間が激減する中、関東リーグで戦えていることが、何とかつながっているモチベーションのひとつだった。もしそれを取られたら…その時は解散もありえた。そして「これは内密なんですが…もし降格、解散なんてことになったら、移籍ですよね」。移籍先は、彼の頭の中に浮かんでいた。

残り2節を残した時点で勝ち点11、6位という残留ラインギリギリにつけたが、12月4日の代表者会議の無断欠席による勝ち点3の剥奪で状況は一転。その後ファイル、府中という2強との戦いを残したZOTTが参入戦候補の最右翼に成り下がった。1月16日、ファイルとの試合に完敗。その翌週に行われた最終節、対府中戦。前半、CKから松原悠之(ゆう)が得意のボレーで先制したが後半失速。集中打を浴び逆転負け。結局2—3だったが、府中の一方的な試合内容で応援団の顔を見上げることはできなかった。

合格守に秘めた恋人との約束。

それから約一ヶ月半後の3月4日、関東地方は午前中まで大雪に見舞われていた。この日ZOTTは参入戦に向けて、所沢駅前に集合していた。僕は取材と言う名目で渡辺の車に同乗。後頭部座席には薄井葉子、武田幸奈の両トレーナー兼マネージャーと、松本大志(たけし)が座っていた。13時に出発して間もなくすると、松本が、白地に緑色の模様が入った「合格守」をマネ2人に見せびらかし、照れ笑いを浮かべていた。松本には、大学1年時に友達の紹介で知り合い、交際を続けている恋人がいた。参入戦を目前に控えた休日、看護師の国家試験に無事合格した彼女からデート中に「今度、使って」と手渡されたのがこの「合格守」だった。その秘話を披露すると、松本は顔を赤らめた。本題のフットサルの話はあまり起こらず、その後も他愛もない話が続いた。

辞表提出?直談判してまで賭けていた男

予定されていた所要時間よりも1時間ほど早く宇都宮に到着、駅前のロータリーに差し掛かると、一台の旅行代理店らしき営業車と合流した。程なくして宿泊先の旅館で下車すると、襟に社章を着けたスーツ姿の男が現れた。チーム最年長、25歳の小林等だった。勤務中の合間を縫って合流したこの男、実は決戦を前に会社に辞表を提出することを真剣に考えていた。教育旅行課、つまり修学旅行をメインとした業務を担当する小林にとって当初、3月5日に県内最大の生徒数を誇る私立高校の修学旅行に添乗することが半年前から決まっていた。しかし1月22日、参入戦行きが決まった二日後、悩んだ挙句直属の上司に「無理です」と相談。「もし参入戦に出れなかったら来年必ず後悔するし、仕事のモチベーションも下がると思う。今回参入戦に行けなかったら、会社を辞めさせていただきます」。最初こそ「そんなの通用しない」と跳ね返されたが、この直属の上司も同じ早稲田、しかも体育会出身ということもあって理解を得られた。その上司を通じて課長を説得。すんなりとはいかなかったが、結局別の社員に添乗を代わる事になり、小林も退職することなく収拾がついた。ともかく彼にとって、どれだけフットサルにかけているのかが、これで分かったという。

離れ離れになっても、心をつないだボール

夜、小林の宇都宮でのフットサル仲間が常時使用しているという小学校の体育館で、最後の練習を行った。外は再び雪が降り始める極寒の中、シュート練習と紅白戦が行われ、主に守備の確認に重点が置かれる中、小林が並々ならぬ集中力を見せ3ゴールを挙げた。

そんな傍ら僕は、「ボール収納ネット」から無造作に出されたボールに、つい目を奪われてしまった。それらのボールには、サインペンでびっしりとメッセージが書き込まれていた。それは殆どが、普段練習に参加することの出来ない遠方の社会人選手からのものだった。「失くして初めてその重大さに気付く。って感じってよく聞く。4月から痛感していることだけど、自分にとってこの一年間、大学時代、毎日ZOTTでフットサルをしていた生活がなくなって、ほんとZOTTでの生活が自分を支えてたんだなって思う。関東リーグは皆で勝ち取った夢の舞台。そんな簡単に手放してたまるものか。意地で残ってまた関東で暴れようぜ」。三重県津市が勤務先であり、この日の夜に駆けつけた藤波佑太は書き綴っていた。そして「こんな田舎にいてごめん。(中略)練習に行きたくても簡単には行けない。時間もかかるし金もかかる。でも、以前にも言ったけど、ZOTTの時間はプライスレス。みんなといる時間が貴重だよ。(中略)俺たち絶対勝てる。人生かけてるし仕事かけてるし」。先ほど登場した小林等も、びっしりとボールに書きなぐっていた。メンバーが離れ離れになる中、チーム掲示板と共に、こういう手段で地理的な距離を埋めようとしていた。心は、繋がっていた。

師匠からのメール「勝つぞ」

3月5日は打って変わって晴れ渡っていた。朝7時に朝食。監督兼選手である清野潤がスポーツ新聞を広げ、Jリーグ開幕戦を占う記事に目を通していた7時6分、清野の携帯にメールの着信が入った。「頑張ってくれよ(拳の絵文字)勝つぞ!?」差出人は、「鵜飼孝」…彼らZOTTにとっての師匠からだった。チーム結成2年目の2001年、練習場所であったFUNフットサルクラブで出会って以来、常日頃から弟分たちの面倒を見続けてきた鵜飼は、この参入戦に向けても変わりなかった。前夜の、そして東京での最後の練習でも念入りに行われた守備練習というのは、この鵜飼から改めて伝えられた戦術の浸透だった。簡単に言えばサイドにボールが渡った場合の相手の挟み方、パスコースの切り方といったところ。それは、サイドを崩されがちなチームへの助言だった。

残り1分43秒、ZOTT、FK

宇都宮市郊外にある、清原総合体育館で試合が始まったのは11時だった。相手は古豪・小金井ジュール。張り詰めた緊張感の中、開始直後からZOTTのペースだった。繰り返し練習していた守備への意識は明確、ボールの奪いどころを押さえていた。攻めても松原が得意のボレーを放ち、サイドからも切れ込んでのシュートを数回打つなど、概ねZOTTのペースで終了した。しかし、後半に入ると段々雲行きが怪しくなった。ジュールは平井孝之と、柴亨輔という22歳コンビがドリブルでかき回してきた。ZOTTも渡辺の「レーザービーム」、小笹祐介のポストプレーからのシュートでゴールを脅かすが、試合はジュールに傾きつつあった。そんな膠着状態の中で迎えた残り1分43秒、ZOTTはFKを得た。ゴールやや右、訳11m前、キッカーは清野だった。審判の笛が鳴り、ファーポスト寄りにインサイド気味にキックしようとした瞬間、清野から見て壁の左側に立っていた森山泰宏が動いた。森山はリスタート直前、ファーポストに松田がいたことに気付いていた。清野はそのままキック。しかし伸ばした森山の右足に当たり、清野の前に跳ね上がった。清野は慌ててボールに触れたが再び森山に前に運ばれた。

ZOTTゴール前へ転がったボールの取り合い、清野は森山との競り合いにバランスを崩して転倒した。森山もボールを奪うことが出来なかったが、後ろから来た渡辺佑貴が拾いゴール前にドリブル。GK渡辺が止めにかかると左前にパス。走りこんでいた柴がワントラップしてすかさず左足でゴールに蹴る。そのボールを、後から追いかけ止めにかかったのは松本だった。そう、大会前、彼女からお守りを渡されていた、あの松本だった。この試合に勝てば翌日宇都宮まで応援に駆けつけると約束していた。しかしそのお守りもむなしく、足が届くことはなかった。残り1分34秒、0−1。失点後、彼らは努めて取り乱すことなく戦ったが、松田のポストプレーから小笹に渡ったと同時に、タイムアップのブザーが鳴った。

水を打った静けさ、沈黙は続いた

転落。歩くのがやっとの足取りでアリーナから引き上げると、選手たちはその場に座り込み、壁にもたれかかった。放心状態。誰も口を開くことが出来ない。聞こえるのは、屋根から滴る、雪解け水の音。文字通り、水を打った静けさだった。そんな中、マネージャーの武田幸奈は、黙々と選手が試合前脱げ捨てたスウェットや着替えを畳み、選手に一人ずつそっと手渡していた。選手たちと同じく、何もできない感情をこらえて仕事を淡々とこなす姿が、見ていられないほど痛々しかった。引き続き、静寂はずっと続いていた。自分たちの試合が終わってから30分ほどした頃か、スタンドから観戦していた師匠・鵜飼が降りてきた。「お疲れさん」。努めて明るく言葉をかけたが、誰も顔を上げることができなかった。ようやく1時間ほど経っただろうか、主将の松田が「…行こう」と一言だけ告げると、重い腰を上げて選手たちは会場を後にした。車に乗り込んだ渡辺は、無言のままハンドルを握り、車を走らせた。

ようやく春らしくなった日差しが、やけに眩しかった。後頭部座席に座っている松本は、見慣れぬ地方都市の風景を、ただじっと眺めるしかなかった。放心状態の渡辺は、道に迷った。たまらず、「タケシ君、ここどこ?」と松本に尋ね、「栃木」と返事。これが唯一の会話だった。宿舎に戻ると、部屋のあちこちからはすすり泣く声が聞こえて、誰も部屋から出ることはなかった。

敗戦後、初のミーティング

夜6時、選手たちは車で外に出た。行き先は、地元が宇都宮である小笹の家族が用意してあった居酒屋。15人のメンバーたちが、重い足を引き摺るように個室に集まった。重い空気が広がる。昼間、旅館で仰向けになりながら皆に何を言っていいか分からなかった清野が口を開いた。「えーっと、…みんなそれぞれ仕事を持ってたり、置かれている状況は厳しかったけど」…無理に話すあまり、言葉が詰まった。こみ上げる感情を抑えることができず、泣き崩れた。それを横目に、前日の紅白戦で3得点を挙げたものの、本番ではいいところなく終わった小林は、気丈に語った。「おつかれさま。俺の中でも、いつ立ち直れるのかわからない。おそらくみんなもそうだと思う。4月からみんなの身なりが変わってしまう。そんな中でのチームの立て直しは非常にきびしい。特に平日の練習に来れるメンバーは学制組がヒロ(渡辺)、ケイスケ(松田)、荒木(淳)、ジャイ(茂木剛史)のみ。4人が大変だよね。いろいろと方法はあると思う。夜中の練習とかメンバー増やすとか。俺からみんなに言いたいことは、まず自分の人生について今、このとき、考えてもらいたい。10年後になり、今やっていることについてどう思うか…でもZOTTは永遠に不滅だよ、どういう形であれ、携わっていってほしい」。

気を取り直した清野は、もう一度言い直した。「置かれている状況は厳しかったけど、よくここまで頑張ってくれたと思う。開幕節と最終節しかほぼ全員揃わなかったけど、それでも俺は嬉しかった。でもさっきヒトシ君が話してたように、みんなが置かれている状況はますます厳しくなる。でも今のこの悔しさは1年間都で戦って勝ち抜いて参入戦で勝って関東に戻ることでしか解消されないと思う。頑張って昇格した時、初めて今日のジュール戦、1年間の都リーグがよかったねって言えるんじゃないかな、そう思います」。しかし、現実を受け入れられてない中での言葉に、説得力はなかった。

主将で、代表者会議に無断欠席した松田は、「俺は勝つ事をすべてに目的にやっているわけではないけど、会議休んだ俺が今やめるのは人間として駄目だと思うし、まだやれる気持ちがあるから絶対あきらめない」。トレーナー兼マネージャー・薄井は、「やっぱり、このZOTTじゃなきゃダメ。このチームが続く限り、ZOTTに協力していきたい」と、思いの丈を打ち明けた。こうして、居酒屋でのミーティングは深夜にまで及んだ後、場所を旅館の食堂に移し、缶ビールを片手に明け方まで続いた。「メンバーに助けられましたよ。頭いいですよ、みんな。自分が何言っていいか分からなくなった時にみんなそれぞれ思ってること言ってくれて。特によーぴー(薄井)みたいな選手以外のそういうヤツまでも、そこまで言ってくれるなんて」。後になって、清野から聞かれた本音だった。あの新年会で、渡辺から聞かれた「解散かもしれない」という話は、結局出ることはなかった。「ZOTT解散イコール、スポーツをやらないくらいの勢いっすからね。さすがに負けた直後は何も考えられなかったですけど、それでも解散しようとはちょっと思いませんでしたね。みんなからも出ませんでしたから」。後日思い切って清野に尋ねたが、彼は一切を否定した。

清野と渡辺、それぞれの春

降格決定から5日後の3月10日、降格決定後初の練習に、スーツ姿で遅れてやって来た清野は練習着に着替えながら打ち明けた。「僕、仕事変えるんですよ。フットサル関連の仕事に」。上場企業の会社員生活を捨て、フットサル中心の生活を選ぶことを決心した。「実家に戻って考え事をしていくうちに、もう一回都リーグで一からやり直そうかなって少しずつ、思えるようになっています。もちろん、まだ不安定ではありますが」。そう言い残すと仲間の待つピッチに向かった。

そのピッチ上では終始笑顔だったものの、ひとたびピッチを離れると仰向けになり、顔を覆いながら何かを思う姿を見せた渡辺、「とりあえず、やれることはこれなんで、やれることをやるだけって感じです」。と話す表情に、まだ吹っ切れた様子はなかった。この言葉は、あの敗退の翌日、メールでの「一応選択しにはあるとしか言いようがないかな、と」と、移籍に関して触れていた数日後のものだった。練習から二日後に行われた東京都カップ準々決勝・対BRB戦でPK戦の末破れた後も、渡辺は床にすね当てを叩きつけるなど、怒りをあらわにした。誰も近寄れなかった。彼は混沌の中にいた。

それから20日が経った3月末、締め切り迫る中、メールを通じてだが、改めて渡辺に心境をうかがった。あの、遅くなったのですが、移籍か残留かということなのですが、やはり、残留ということになったのでしょうか」。返事は、こうだった。

「チームに残って頑張ることにしましたよ!今年もよろしくお願いします!」。仲間と戦い続けることを決めていた。再び、レベルが劣るリーグでの戦いになる。代表よりも仲間を優先したように傍から見えるが、一蹴した。「別に代表レベルをあきらめたわけじゃないです。むしろ常に狙ってます。仲間とやりたい気持ちが強いのは確かですけど、正確にはこの仲間と高いレベルでやりたいってことです。このメンバーだからこそ強くなれるし、その意味が大きいんですよね。この一年ZOTTも僕も爆発的に強く、うまくなる自信ありますから」。その返事に、ちょっと、ホッとした。

それでも、来年戻れる保証も、渡辺が代表に選ばれ、3年後の世界選手権で大活躍する保証も、正直言ってどこにもない。それにこの春、新たに5人が新社会人となった。ますます彼らを取り囲む環境は厳しくなっている。それでも彼らは逆境に立ち向かう覚悟を決め、新しいシーズンを迎えようとしている。ここまで、彼らがどれだけフットサルに賭けていたのかは、よく分かった。だけど、どういう過去が各々にあって、フットサルに向かわせているのか、ZOTTに向かわせているのかの、納得の行く言葉を聞く事はついに出来なかった。そこまで聞く必要があるかどうかは分からないが、まあそのことは、都リーグの試合が終わった後にでも聞いてみたい。

クラブヒストリー

学生サークルから始まったZOTT。10年以上続くクラブチームの歴史を紐解く