ヒストリー2003年guide/history2003

ヒストリー2003年

歓喜の関東リーグ昇格

タイミングはそれぞれ違うが鎌田、松原、松本、中野、池端が加入し16人体制となる。春に前述のカレッジフェスタといった大学生大会運営に力を入れてくださっていたF-NET(現・株式会社エフネットスポーツ)と学生チームとしては異例のスポンサー契約を結び、活動をサポートしていただけることとなるが、メンバーが就職活動や教育実習等でチーム練習が思うようにできなくなったことを機に大スランプ期に突入。連覇していたカレッジフェスタの第10回大会(東大御殿下開催)決勝で負けて準優勝となり連覇が途切れると、初参戦した同じくF-NET主催の学生リーグの開幕戦を引き分け(この時に渡邊と神戸が大ゲンカしたのはあまりにも有名)、2部から昇格した東京都1部リーグも4試合して2勝2敗と結果を残せず苦しむことになる。

スランプは夏まで続くことになるが、リベンジで臨んだ第11回カレッジフェスタ(大田区開催)で優勝し(右の写真)学生NO.1の名を取り戻したことをきっかけにスランプを完全に脱出、学生リーグは開幕の引き分け後は10試合全勝して優勝、東京1部リーグも2勝2敗後は全勝して優勝しチームの夢であった関東リーグ参入戦の権利を得る。

東京1部チームとして臨んだ3回目の全日本選手権では順当に勝ち上がって迎えた準々決勝の相手は現在関東2部所属のFUTURO。上村さん、渡辺さん、小野さんの日本代表トリオは全国的に有名で当時日本のTOP3に入るであろう超強豪だった。大学の同期や後輩100人を超える大応援団と共に戦ったが3-7と完敗。またまたフットサルの厳しさを知ることになるが、切り替えて関東リーグ参入戦に向け日々の練習に励むことになる。

合間にPIVOチャンピオンシップ全国大会3位、週刊アスキー全国大会優勝、年末の御殿下スーパーカップ3位(準決勝で日本代表で構成されたバウスポーツと対戦し2-2で延長となり最後は稲田さんにVゴールを決められ敗戦するもZOTT史上に残る好ゲームとなる)など好成績を残し。

そしてついに、初期メンバーが卒業式も終えた3月末に小田原での関東リーグ参入戦を迎えることとなる。1回戦は埼玉代表で元Jリーガーで構成されたmfに10-1と大勝、2回戦は関東リーグ11位で参入戦出場となったセニョールイーグルスに苦しみながらも勝利、参入決定戦は神奈川代表で同じく学生チームだったミリオネア横浜に前半0-2で折り返すも後半4連続得点し4-2で勝利し、2001年のオープンリーグ参戦以来ストレートでの関東リーグ昇格を達成する。

ストレート昇格とは言えチーム結成以来何度も何度も壁にぶつかりながらも、それらをメンバー全員、応援してくれた友人たちと共に乗り越えて参入戦までたどり着き、小田原で3戦全勝して関東リーグ昇格という大きな夢を叶えることで味わえたこの歓喜は、所属していた16人は一生忘れることはないだろう。昇格決定後はもちろんだが池袋に戻って行った祝勝会でもメンバー全員が泣いて泣いて泣きまくった。


フットサルマガジンPivo!の取材内容

「夢はもうすぐそこに」ZOTT東京都1部リーグ

「遊び」から競技志向へ

ゾットの主力メンバーが初めて顔を合わせたのは2000年の春。場所は早稲田大学サッカー部の練習グラウンドだった。この年、早稲田大学に入学した清野らは、サッカー部に入部する。その後、清野らは次々と体育会のサッカー部を辞め、サッカーサークル"ヒューマン"に加わる。

ヒューマンで活動している時、清野が「フットサルの大会に出よう!」と提案し、彼らは各種のフットサル大会に出場する。そして、チーム名を考えることになった時、当時メンバーの間で流行っていた"ゾッとする"の頭3文字"ゾット"が「響きがいい」ということで、チーム名になった。当時のチームの様子を清野はこう説明する。「最初はフットサルなんて知らないから、ミニサッカーで戦っていた。当時はまだ、遊びでした」。

もともと個々がうまいためそれなりの結果を残していた。そして、好きな仲間と楽しくボールが蹴れる環境に満足していた。そんな中、1つの出会いが、この環境からの脱却を促した。現シャークスの鵜飼との出会いである。

FUNで行われた大会に出場したゾットは、そこで鵜飼に出会う。当時ファイルフォックスに所属していた鵜飼と仲良くなり、彼にフットサルを教わった。それだけではない。鵜飼は、当時、日本最強だったファイルフォックスとの練習試合も組んでくれた。

この時、ファイルフォックスに惨敗した経験が、真剣勝負への欲求に火をつけた。清野が「相手にならなかった」と言えば、渡辺も「何もさせてもらえなかった」と言う。当時を振り返る彼らからは、そんな言葉しか聞こえてこない。この時から、彼らは真剣にフットサルと向き合うようになる。

取り戻した"学生王者"の称号

競技志向に切り替えたチームは、2001年夏のカレッジフットサルフェスタに出場し、見事、学生チャンピオンに輝いた。この優勝で、ゾットの名は大学フットサル界に知れ渡った。対戦相手は"絶対にゾットに勝つ"という気迫で試合に臨んでくる。それでも、彼らは2002年春、冬と続けて優勝。3連覇の偉業を達成した。大会を主催しているF-NETがスポンサーとして付いたこともあり、ゾットにとってのカレッジフットサルは、「勝たなくてはいけないというプレッシャーとの戦いだった」と清野は言う。それまで無敵の王者だったゾットだが、2003年、春の大会でミリオネアに逆転負けを喫し、学生チャンピオンの座を失ってしまう。主力が就職活動、教育実習などで、練習もまともにできない時期だった。

「もともとチーム状態が良くなかったけど、ミリオネアとの敗戦でさらに悪くなった」と続ける。そして、時を同じく開幕した東京都1部フットサルリーグでも、I.P.D.、渋谷ユナイテッドに破れ、早々と2敗を喫してしまう。それでも清野はゾットの復調を確信していた。「自分たちはいつもダメな時期があると、それを乗り越え、落ち込む以前よりも伸びてきた。だからこの時も絶対に乗り越えられると確信していた」

徐々に調子を取り戻したゾットは夏のカレッジフットサルを制し学生No.1の座に返り咲く。しかし、この大会にミリオネアは出場していなかった。待望のミリオネアとの再戦が実現したのは関東大学リーグだった。大学王者の称号を取り戻すべく臨んだその試合、ゾットはミリオネアを寄せ付けず、大量9得点を奪い雪辱を果たした。「これでようやく大学No.1の実感を得ることができた」 渡辺の表情に笑顔が戻った。

なんとしても、関東リーグへ

第9回全日本選手権東京都大会が行われた立川市泉体育館は、六大学野球が開催されている神宮球場や、関東大学サッカーリーグの各会場と同じ雰囲気を醸し出していた。その空間を作り出していたのは、ゾットの大応援団である。2003年は、メンバーの大部分が、学生として最後の1年を迎えていた。その中でゾットは2つの目標を掲げている。選手権本大会出場と関東リーグ昇格である。その応援に大応援団が駆けつけたのだった。選手権は東京都大会で敗退したが、都リーグは、12月28日現在8勝2敗で首位、関東リーグ参入戦に参加する条件を満たしている。

4月からはこれまでのように全員が練習に参加することは不可能になる。が、 大学院への進学が内定している渡辺を中心に、ゾットは活動を続けていく。ゾットのサポーターたちも、彼らと同じ年代の学生である。彼らは大学卒業後もゾットの応援に足を運ぶのだろうか?「もちろん、卒業してもずっと応援していきます」。サポーター代表の森、加藤、桐原は声を合わせる。「卒業後も関東リーグに参入したら可能なだけ行きたい。関東リーグ参入戦は絶対に行きますよ」

このままいけば、今年の参入戦で、再び大応援団の声援を受けながら戦うゾットの姿が見られるだろう。清野は言う。「ゾットのメンバーは100人。サポーターもゾットの一員です。チームの敗北に泣いてくれるようなサポーターは他にいない。あの声援があるとボクたちも盛り上がる」

2003年12月25日。ゾットは、関東大学リーグ優勝を決めた。彼らは最後まで大学王者の称号を守りきった。あとは、都リーグ、そして関東リーグ参入戦だ。サポーターの話が出てから、柔和な表情をしていた清野の顔が、瞬間、厳しくなった。「応援してくれる人たちのためにも、関東リーグに行く」学生王者ゾットは、揺るぎない決意を胸に、関東リーグ参入を目指す。

クラブヒストリー

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